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小菅神社 (飯山市) : ミニ英和和英辞書
小菅神社 (飯山市)[こすげじんじゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)
: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [し]
  1. (n-suf) city 

小菅神社 (飯山市) : ウィキペディア日本語版
小菅神社 (飯山市)[こすげじんじゃ]

小菅神社(こすげじんじゃ)は長野県飯山市にある神社。戸隠・飯綱とともに信州三大修験霊場の一つ。
諸伝承によれば、役小角が開山した修験寺院・小菅山元隆寺(こすげざん がんりゅうじ)が小菅神社の起源である。その後、幾度かの退転と再建を繰り返した後、明治時代の神仏分離により、神社とされ、今日に至っている。なお、本項目では、前近代における寺院(小菅山元隆寺)と近代以降の神社(小菅神社)とを歴史的に一体のものとして扱い、両者を総称して指す呼称として、霊場としての名でもある小菅山を用いる。
== 概要 ==


小菅山の確実な創建年代は判然としない。しかし、社の由緒を伝える幾つかの古文書によれば、役小角によって開山された修験寺院・元隆寺が、小菅山の起源であるという。それらの文書が伝えるところを要約すると、仏法をひろめるのに相応しい地を求めて役小角が諸国を巡っていた折、小菅山に出会い、神木霊草に満ちた山野のありさまに心を打たれているところに地主神が現れた。役小角は、地主神から、この土地が諸神集合の地であり、仏法をひろめるにまさに相応しい地であり、地主神みずからも守護を与えると告げられた。このお告げを受けた役小角が祈願に勤しんでいると、今度は小菅権現が出現した。小菅権現は、みずからが馬頭観音の化身であり、仏法の擁護と興隆に力を貸すと告げた。役小角は、小菅権現を主神とし、併せて熊野金峯山吉野)・白山立山・山王・走湯・戸隠の7柱の神々を勧請し、祀ったという(表1)。
こうした由緒を伝える最古の文書は、おそらくは天文11年(1542年)、別当并衆徒中の名義による「信濃国高井郡小菅山八所権現元隆寺来由記」であろう。この文書は、上記の他にも、東夷の叛乱が八所権現の神威によって平定されたことを謝して、坂上田村麻呂大同年間にこの地を訪れ、八所権現本宮や加耶吉利堂を再建したほか、元隆寺を建立し、諸塔堂を整備したと伝えている。
戦国時代には、小菅山一帯は、上杉氏の庇護下に置かれ、なかでも上杉謙信弘治3年(1557年)の願文は、小菅山の由緒に言及している点で注目される。この願文で謙信は、坂上田村麻呂の名に触れつつ武運を祈念しており、小菅山信仰の広がりを読み取れる。しかしながら、しかし、そうした繁栄も、永禄10年(1567年)の川中島の戦いまでのことであり、この合戦で敗退した上杉軍を追撃する武田氏の軍勢によって、元隆寺は兵火に遭い本堂を除く堂塔はことごとく焼失した。その後も繰り返し兵火にさらされたため、元隆寺に常住するものがなく、慶長初年(1600年)頃には完全に廃墟と化してしまった。「信州高井郡小菅山元隆寺略縁起」(慶長5年〈1600年〉/元禄元年〈1688年〉)が伝えるところによれば、百年近くを経た元禄元年(1688年)においても、再建はなされず荒廃するままにまかされ、かつての伽藍も田畑や民家、荒野に帰してしまったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小菅神社 (飯山市)」の詳細全文を読む




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